4/23 私と競馬とアイドルと

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どうも、アライッペです。

今日はいつものブログと違う感じでコラム風に。

実は私は、あまり前面に出していない趣味があります。

いや、「ありました」って言った方が正しいかな。

それは「競馬」です。

「でもアライッペさん、全国地方競馬場巡りとかしてブログ書いてるじゃないですか」って言われるかもしれません。

確かに、まだ1弾の船橋競馬場しか書いてないけど、「死ぬまでに日本の全ての競馬場を巡りたい」と思ってます。でもそれは実は競馬場の雰囲気だったり、そこで食べられるグルメだったりがメインで、馬や馬券のことはあまり重きを置いていません。

今の私は現実の競馬はあまり見ていません。去年のダービー馬の名前も言えません。競馬との接点はスマホゲームの「ダービースタリオンマスターズ」くらいなもんです。

でも、昔はガッツリドップリ競馬にハマっていました。

そのきっかけも確か中学生の時に出たスーファミの「ダビスタ2」なんですが、その後高校生になって、私男子校だったので女の子にうつつを抜かさずにお馬さんにうつつを抜かしていたんですね。

それで、今回お話するのは、ある一頭の馬に私が惚れ込んだお話です。

1996年の6月、私は東京競馬場にレースを見に行きました。この日はG1「安田記念」の当日です。

当時から人混みがそんなに好きではなかった私は、ダービーや有馬記念などの大レースよりも少し客足の落ちる安田記念を友達と見に行ってたわけです。

安田記念は第11レース。前座、というわけではないですが当日の条件戦である「ほうせんか賞」芝2000m。そこにその馬はいました。

当時まだにわか競馬ファンの私は、レース中大逃げを打つその馬に対し、「日本一直線の長い(当時)府中で何やってんのこいつ?捕まるに決まってるだろ。バカじゃねーの?w」くらいのヒドい言葉を友達に対し吹いていました。

そしたら、そのまま、逃げ切り。条件戦とはいえ6馬身差の圧勝。

数秒前の自分をひどく恥じました。

今の私の人生観の一つ「先入観を極力持つな」というのは、この時に芽生えたものです。

そんな私の人生にすら影響を与えた馬の名前は、「ビッグバイアモン」

バイアモン、母ブラダマンテ(母の父Roberto)の栗毛の馬。この7年後、牝馬三冠を制するスティルインラブの兄、と言ったら驚きますでしょうか。

この前走のプリンシパルステークスで初芝、一気に2倍以上の距離延長にもかかわらず、同じように逃げてダンスインザダークの3着であったように、この日の逃げ圧勝にもその下地はあったみたいですが、それまで知らなかったこの馬に俄然惹かれていきます。

結局その日メインの安田記念はトロットサンダーが制するのですが、そんなの今調べて思い出したくらい私の注目はビッグバイアモンへと向かっていきます。

次走、ラジオたんぱ賞。本来このレースは福島競馬場で行われるのですが、この年は福島競馬場を工事していたのかな、中山競馬場で開催されます。

このレースを、逃げ切り勝ち。しかも、当時のコースレコード。この年のNHKマイルC2着のツクバシンフォニー、皐月賞、ダービー3着のメイショウジェニエをあっさり退けての勝利。

大逃げではなかったですが、逆に終始後ろからつつかれる展開でも、先頭を一歩も譲らず。

鞍上の蛯名正義も絶賛していたと思います。

これを見て、「こいつは本物だ!」と。デビューが遅れたため、そして前記したプリンシパルSで3着だったため出られなかった春のクラシックレース。

雪辱の秋。菊花賞へ向けて。

この時、まだ学生だった私ですがアルバイトをしていたのでそれなりのお金は持っていました。

だから、「ビッグバイアモンが菊花賞に出るなら、俺は京都競馬場へ遠征する!」

高校生のくせに、好きな馬のために何万か掛けてわざわざ京都まで行くことを心に決めたのです。

ところが、前哨戦の神戸新聞杯圧倒的一番人気(1.4倍)の中、5着…

なんと、最後の直線で故障していた模様。左前浅屈腱断裂競走能力喪失で引退することになりました。

父のバイアモンが種牡馬として特に優秀ではなかったため、このビッグバイアモンも種牡馬になることはできませんでした

その後乗馬クラブにわたっても去勢はせずにいたようですし、のちに妹がG1を勝つわけで、関係者も何とか種牡馬になれないかと模索していたようですが結局それは実現することはなかったようです。

今でも、無事ならダンスインザダークの猛追を退けて菊花賞馬になっていたと、信じてやみません。

この7年後(奇しくも妹スティルインラブが牝馬三冠を達成した年)、東京競馬場で行われたジャパンカップで、タップダンスシチーが逃げ切り勝ちをおさめるのを現地で見たわけですが、同じ逃げ馬ということでその姿に少しビッグバイアモンを重ねてしまいました「無事だったらあの馬も…」と。

その後私は熱心に競馬を見ることもなくなり、今に至ります。

結局、京都競馬場を訪れることもなく20年を超える月日が経ちました。

そんな今、私が応援しているのが京都出身のアイドル、SKE48の荒井優希ちゃん。

彼女の公式プロフィールの趣味の欄に「馬」と。これ、今年から追加されたと思うんだけど、去年から優希ちゃんは競馬とのつながりを匂わせてるんですよね。

私自身の憶測だけど、「取れそうな仕事は何でも取っていくガツガツ精神」とか、「憧れの小嶋陽菜さんの後追い」とかの単純な理由ではない、違う何らかの理由が優希ちゃんと競馬の間にはあるような気がしてならない。

まあそのことはいずれわかるかもしれないから置いとくとして。

20年の時を超えて荒井優希ちゃんが私を京都競馬場に連れてってくれるのではないか、と期待しているのです。

今までで一番好きな馬であるビッグバイアモンで叶えられなかった京都遠征を、今までで一番好きなアイドルの荒井優希ちゃんが叶えてくれるとしたら、どんなにかうれしいことでしょう。

もし実現したら、泣くよ私。

だから、どんな内容であれもし京都競馬場で優希ちゃんがイベントなり何なりやる、なんてことになったら絶対に遠征します。

そしてそれを優希ちゃんなら叶えてくれると、信じてる。

年月が経って趣味が変わっても、めぐりめぐってご縁がつながっていく、そんな不思議な話でした。

では、また次回…

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