2020/08/06 アライッペ、記す

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どうも、アライッペです。

ずっと放っておいたブログですが、今の気持ちを吐き出す場所もないしTwitterでは文字数が足りないのでここで。

何から話せばいいか。

世間はコロナで大騒ぎですが、ウチではコロナとはまた関係なく「命」について考えることが増えて。

知ってる人は知ってるかと思うのですが、今年私は祖母を亡くしました。90歳代で天寿を全うしたと思うのでそのこと(祖母の死)自体は仕方がないという思いでもあるのですが、このコロナ禍と重なったことで家族の誰も葬儀にも行けず、その後もお線香をあげに行くこともできていません。

ここまでは、まあ悔しいしコロナは憎いですが同じような状況の人が他にもいらっしゃるのかな、と。仕方がないといえなくもありません。

ですが、自分にとって精神的にキツいことがもうひとつ。

それは…

その祖母の娘である私の母の容態も芳しくなく、もしかしたらそう遠くないうちに亡くなってしまうかもしれないのです。

一年のうちに祖母と母の両方を亡くすのかな…

祖母が母を呼んでるのかな…

私の母はいわゆる糖尿病で、週3回の人工透析をもう15年ほど続けていました。

私も詳しいわけではないですが、人工透析は一度始めたらもう死ぬまで続けなければいけないようです。やめたりサボったりすることは死を意味します。

ただ逆に言えばそれを続ければ生きていられる。ということで15年頑張っていました。

最初の10年くらいは自分でバスやタクシーに乗って病院を行き来していました。

透析の無い日は自らバスに乗って駅前のパチンコ屋に行ったりすることもできていました。

ここ3年くらいは歩くことも億劫というか身体的負担になるためか、バスに乗ることはなくなりました。

病院への行きは父親が運転する車、帰りはタクシー、あるいはたまに自分が迎えに行くことも。その帰りに一緒に昼飯を食って帰ったりもしていました。

そして、ここ1年。もうタクシーを呼んだり待ったり、タクシーの運転手さんとコミュニケーションを取ったりするのも精神的負担になっていたのでしょうか、また歩いたりするのも杖が必要だったりと、精神的にも肉体的にもいろいろあって行きだけでなく帰りも家族が病院に迎えに行っていました。

幸いにも私は実家暮らしなのと、父が(数年前に癌を患ったものの)まだまだ元気なので、まあこんな状態でも妹も含め家族全員でなんとかしてやってきました。

ただ…

私のツイッターのフォロワーさんには医療関係者も少なくないのであえて具体的に触れさせていただきますが、血中のアンモニアの数値が高くなり下がらない病気?に今年に入るくらいからかかってしまい…

高アンモニア血症というんですかね?

そうなるとどうなるかというと、ボーッとしたり、あるいは悪い状態だと意識が混濁したり。

これは肝臓の機能が悪化してそうなるみたいなのですが、それが糖尿病や人工透析を長年続けてきたことに起因するのかは私にはわかりません。

この病気のせいで2月と3月に2週間ずつ入院しました。完治はしないようなので退院はしてきたものの「ああ、これから介護、のような生活が始まるのかな」と思った矢先でした。

4月の末に家の中で意識を失って、救急車で運ばれてそのまま入院。そしてそれから4ヶ月、自宅に戻ることは叶っていません。

このまま、病院で一生を終えることになると思います。

それでも自分は初めは「退院はできないけどずっと病院にお世話になっていれば生き続けることはできるのかな」と、そう考えていました。

このコロナ禍で6月末までは面会もできませんでしたが、7月からは週1回15分、家族の者1名のみ面会ができます。

かなり制限はされるけど自分たちが会いに行けばいいや、そんなふうに思っていました。

でも、日を追うごとに母の調子は悪くなっていっています。

面会は父がメインで、私と妹はまだ1回しか会いに行っていないのですが、私が会いに行った7月上旬の時はまあ元気はなかったものの、普通に会話は成立していました。

ですが、ここ最近は…

父によるとほぼ会話も成立しないというか、ボーッとしていたりしている、と。

父も「もうダメかもしれない」と。

そして、現時点で、主治医の方に来週父が呼ばれています。

何を言われるかわかりませんが、自分たち家族にとってプラスなことを言われることはないと思っています。

さすがにこの期に及んで楽観的ではいられません。「親を亡くす」ということについていま私は現実的に考えるようになっています。

最初自分は考えました。「母親を亡くすということに自分が耐えられるかな?」と。

でも、それは最初の一日だけで。

じゃあその次の日から今日まで私は何を考えているかというと、「母自身は、自分が死ぬ(かもしれない)ということを理解したり覚悟したりできているのだろうか?」ということです。

そのことに比べたら自分の悲しさとか辛さはどうでもいいな、と。

母はまだ60歳代です。来月の誕生日で70歳。現代日本の女性の平均寿命を考えれば、まだまだ、早すぎる。

それに、これはあくまで個人的な考えなのですが「死ぬことを覚悟する、受け入れる」というのは自分は心臓が止まるその瞬間まで出来ないことだと思っています。

生きとし生けるものとして必ず死は訪れるのですが、自分はそれを「嫌だ、受け入れたくない」とずっと思い続けて生きています。

少し話は飛ぶのですが、私の母の父、つまり祖父は私が7歳の時に亡くなりました。まだ60歳代前半で。糖尿病でした。

祖父は母と違って、一生付き合っていかなければいけない透析のような治療を嫌ったため早くに亡くなりました。

その祖父が亡くなったことで私は初めて葬儀というものを経験しました。「亡くなった人」を初めて見ました。棺に釘が打たれ、霊柩車に乗せられ、火葬場で焼かれて骨になるまでの一部始終を目の当たりにしました。

「人は死んだらこうなる」というのを7歳にして見せられて、当時はそれが恐ろしくて、嫌で嫌で幾晩か眠れませんでした。

何度考えても、何を思っても「自分もいつかはああなる」現実が受け入れられなかったのです。

数日考えて出した結論が「このことは考えるのはやめよう」でした。そうしないと自分は生きていくのが辛くなる、自己防衛のために考えるのをやめました。7歳にして。

そのまま30年以上経っての今。

話を戻して、今も私は自分が死ぬということを覚悟したり受け入れたりできていません。

きっと母もそうなんじゃないかな…

誰だって死ぬのは嫌でしょ?って。

そう思うと辛いんです。

ほとんど会話ができなかった前回の面会でひとことだけ母が父にハッキリと言ったそうです。

「(家に)帰る」と。

週明けに主治医に呼び出された父が何を言われるのかわからない、そんな戦々恐々とした時期にあえてこの文章を書きました。

叶うなら、一日でも長く生きていてほしい。

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